愚かな者は悟ることを喜ばず、 ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。
主を恐れることは知識のはじめである、 愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
さとき人は知識をかくす、 しかし愚かな者は自分の愚かなことをあらわす。
愚かな者はすでに心がないのに、 どうして知恵を買おうとして 手にその代金を持っているのか。
おおよそ、さとき者は知識によって事をおこない、 愚かな者は自分の愚を見せびらかす。
偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
愚者は道を行く時、思慮が足りない、 自分の愚かなことをすべての人に告げる。
一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる。
だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。
すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。
「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで 思慮のないことを好むのか。 あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、 愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
悪しき者が来ると、卑しめもまた来る、 不名誉が来ると、はずかしめも共にくる。